げんろんのじゆう

人生は与えられたカードでの真剣勝負

生きること、買うということ

もともと日々の思考や価値観をまとめ直しながら垂れ流そうと思ってブログ開設したのを1ヶ月経って思い出しました。

 

「人生は選択の連続だ」というのはもはや陳腐に聞こえるほど使い古された言葉ですが、僕は真理だと思っています。ある行動をとれば、「その行動を取らない」という行動はとっていない=選択していないことになります。つまり、「その行動を取らない」という行為を捨てている訳ですね。

僕はこれを敷衍して、すべての行為は何かと何かを交換する、あるいは何かで何かを買うことだと思っています。特に意識しているのはお金・時間・経験の3つについてです。これだけだと分かりにくいでしょうか。

 

最初に意識したのは大学に入ることが決まった時でした。両親に「バイトだけするような大学生にはなるな」と言われた時、別にそんなことする気はないけど敢えてそれを強調してくる意図が分かりませんでした。

理由を尋ねると、「バイトは社会経験としては大事だから勧めるが、本質的には自分の時間を売って賃金を得る行為だ。お金は貸せるし必要ならお前に投資してやるから、貴重な時間を使って今しかできないことをたくさん経験してくれ」という趣旨の回答が返ってきました。感謝とともに非常に納得したのを覚えています。

 

それから大学生、新社会人と過ごしてきましたが、この考え方が自分の中に一層強く根を張ってきたのを感じます。例えば僕はお酒が嫌いなのですが、飲み会は友人との楽しい時間(+少量の食事)が3000円そこらで手に入ると思えば行く一択です。この前入る気のない保険の営業の話を聞いてきたのは、1時間弱を差し出して「保険の知識」「営業される経験」「普段接することのない人と話す機会」等を買えるなら悪くない買い物だと思ったからです。

 

そんな難しく考える必要なくない?という意見もあると思いますが、こういったことを捉え直してごちゃごちゃと考えるのが好きなので、そういうものなんだと思ってください。普段は適当な性格ですが根は理屈っぽいうえに優柔不断なので、こういう論理に則った方が意思決定・反省がしやすいというのもあります。

 

反対に、当たり前じゃない?何を今更…という意見もあるでしょうか。ただ、こうした思考は少し拡大することである程度応用が利きます。

最近では、仕事や生活での失敗を経験と置き換えることでポジティブに捉え直すことができるようになりました。悔しさやストレスと評価下落を糧に、ある種今しかできない経験を得たと思えば少なくとも死にたくはなりません。一喜一憂マンにとってはこうしたメンタル管理は結構重要だったりします。また、自分がどういう価値観で物事を見て生きているかを俯瞰することにもつながります。僕は自己分析するのが大好きなのでこれも性に合ってる要因のひとつなんでしょうね。他にも色々ありそうです。

 

別にすべてをこうした考え方で捉えている訳ではありませんし、自分の価値観に照らして非合理的に思える行動をとることも少なくないですが、自分の中に一本頼れる芯となる考え方を持っておくのは悪いことではないような気がします。

THE・垂れ流しのような駄文でしたが、こういったものを記録として振り返ったときに、n年後の自分がどう感じるかが一番楽しみです。

おわり