げんろんのじゆう

人生は与えられたカードでの真剣勝負

旅行記に擬態した雑念のかたまり

この前の3連休で三重と奈良に一人旅に行ってきました。まあまあ楽しんできました。

 

何で三重と奈良?っていうのは誰しも真っ先に浮かぶ疑問だと思いますが、単純に行ったことなかったからです。おかげさまで未踏の都道府県が残り5つとなり、小さな目標である日本全国制覇に少し近づきました。

僕はとんでもなくひねくれたところのない至って純粋な性格なので、初めて行くところでは基本的にメジャーどころ+聞いたことのある所から攻めていき、ご当地感溢れるものを積極的に摂取しにいきます。

 

ということで、めちゃめちゃ抜粋すると

1日目:松坂牛を食べて伊勢神宮に行く。

2日目:伊賀流忍者博物館に行ってから奈良公園で鹿と写真を撮り、東大寺春日大社に行く。

3日目:唐招提寺薬師寺に行く。

というほぼほぼ王道と思われるコースを歩きました。ただしこの記事を旅行記にするつもりはないので、前日に焼肉をたらふく食べたので松坂牛に加えて伊賀牛までは食べる気にならなかった話とか、法隆寺が思いの外遠くて諦めた話とか、宿で出迎えてくれたお姉さんが恐ろしくかわいくて心を奪われかけた話とかは潔く割愛しようと思います。

 

三重と奈良の見どころって色々あるけど、結局ど真ん中を攻めると寺社仏閣になる訳じゃないですか。実際楽しかったんだけど、僕ぶっちゃけ神も仏も信じてないし宗教にも日本史にも疎いしそんな興味ないんですよ。

じゃあ何で行ったの?ってところと、何でそれでも楽しかったんだろう?が自分でも気になったんですけど、それは今まで他の所に行った時にも度々感じたことでした。

 

まあ結論から言っちゃうと、両方とも突き詰めれば、

①興味がなくてもすごいものはすごいから

②興味がなくても他に魅力を見出しているから

③興味がないものに軽く触れるのは楽しいから

という3つに集約されるのかなと思います。

 

海外は知識不足で分かりませんが、そもそも日本各地の観光地を調べようと思ったら、9割は山・海・川・湖・谷、城、寺・神社、公園、温泉、美術館・博物館、動物園・水族館、複合商業施設で埋まるじゃないですか。

ハードに山登るには足がない…とか、動物園はこの前行ったし…とか、城って興味ないなあ…とか、何で旅行行ってまでショッピングモール?とか考えてたら、ほぼほぼ行くところなくなる問題ありますよね?あるんですよ。

その目線でいくと、どうせ行くならそこでしか味わえないものを、もしくは同カテゴリの中でも強い観光地(ex.USJはテーマパーク界でもトップクラスの観光地)を求めるのは必然と言ってもいい訳です。

で、調べてもらえば分かるんですが、奈良と三重でメジャーどころを攻めようと思ったら、結局寺社仏閣のウエイトが高くなるのはもう仕方ないんですね。なぜなら世界遺産だったり超有名だったりと寺社パワーが高いからです。まあ御託は置いといて、実際行ったんですよ。神も仏も大ピンチの時と人生の勝負どころの時にしか信じない僕が行ったらですね、当然ながらめちゃくちゃ楽しかった訳ですよ。何でか?それはさっき3つ並べて書きました。

 

例えば東大寺の大仏。僕は仏像のありがたみも違いも全然分かりませんが、デカいってだけで写真で見るのとは全然違う迫力があります。作られた時代とかを考えたらこれだけ大きな物を作るのはさらにすごいことですし、絶対手入れされてるとはいえ周りの金ピカなやつとかもすごいなあと思います。

ビジュアル的にかっこいいかは主観によるので置いておいても、生活上の実利に何ら役立たない物でこれだけ大きくかつ凝った装飾を施されてるものが作られたこと・長く保存されてきたこと・未だに観光客が絶えないこと、その全てが信仰心であり、大仏が背負い続ける権威と重みですよね。まさに後光です。僕が仏教に傾倒してなかろうと仏像の美しさが分からなかろうと、そこには良い意味で気圧される訳です。これがさっきの①。

 

また、それ自体には興味がなくとも、周りの装飾が綺麗だなーとか、(周りの会話を聞く中で)大仏をありがたがって見に来てる人ってこういうところに着目してるんだなーとか、大仏そのものの周縁にあるものの面白さは受け取れるんですね。大仏とかだったら知れば知るほど面白いんでしょうけど、世の中どうしたって興味を持てないor持たない方がいいこともある訳で、そんな時にはやや視野を広く持つことが楽しみを見出すことにつながるんだと思っています。これが②。

 

③は②と近いんですが若干違って、「知らなかったことがあることを知るという、無知の知的な意味での気づき」、そして「知らなかったこと(価値観・知識)を新たに知る(学ぶ)こと」という2つです。どちらの意味でも、自分の世界が広がる様を感じるのは非常に楽しく、そしてありがたいことです。

卑近な、というか僕の個人的な例で言えば、数年前に偶然ラップバトルの動画を見てからHIPHOPに(未だににわかですが)ハマっています。これはその文化に対する価値観・知識両面での驚きと、さらに言えばそれが流行っている世界が意外と自分の身近にあったこと(実際にありました)へのカルチャーショック、さらにさらに言えばHIPHOPを生業にしている叔父への遡っての理解など、自分にとってはかなりの衝撃でした。全然柄じゃないと自分でも思うので、まさか僕が…と思うと今でも笑ってしまいますが、人生そんなものです。

 

また、知れば知るほど…と先程書きましたが、何においても大抵の場合は知識を入れることでより深い楽しみ方ができます。その意味で、教養≒知性≒感受性という捉え方ができると思います。よく言う「子供の方が感受性が豊か」という表現に矛盾するので、多分お互いの定義が合ってないんだと思いますが、とりあえずここでは掘り下げずにおきます。

 

大仏の話をしたので続けてそっち側にも触れておくと、宗教には、新しい価値観を提示して教えてあげる側面(布教)それを極める側面(求道)があるのかなと思っています。僕自身は無宗教なので浅い見方かもしれませんが、これって上に書いたようないわゆる"文化"の受け止め方と非常に近いものがあるように思います。

ここで面白いのは、日本人って多くの宗教が混在していたり、無宗教やアバウト(寛容)な信仰の人も多いことですよね。神道アニミズム的な八百万の神を信仰する多神教で、唯一絶対の神とか教えに依拠している訳ではありませんし。

小学生の時、塾で「日本では珍しいことに一週間の内に3つの宗教のイベントが大々的に行われる。それは何か(何の宗教か)」という問題が出て、面白かったのを覚えています。答えは当然クリスマス・大晦日・正月なんですが、当時の僕は仏教と神道の区別がついていなかった(というか神道というものの存在を知らなかった)ので、注目ポイントは合ってたものの点数を得ることはできませんでした。イベントが一時期に集中していること自体はともかく、それをどの宗教の人も一緒になって祝ったり盛り上がったりするのは言われてみればユニークですよね。

 

僕個人は今のところ無宗教なんですけど、どっちかというとキリスト教に距離の近い人生を過ごしてきました。母と父方の祖母がそれぞれカトリックプロテスタントで、僕の出身校や母・妹の出身校もミッションスクールでした。そのせいか、母に連れられて小さい頃からミサに出たことがあったり、中高では「宗教」という道徳/倫理と保健と色々を混ぜたような授業があって、そこでいくつか祈りを覚えたりしました。

 

一般的には代々仏教を継いでいる家庭も多いと思いますし、実際に宗教の授業のはじめに、先生に向かって「うちは代々◯◯宗なんですが大丈夫なんですか」と質問した同級生もいました。先生が何と答えたかは覚えていませんが、大まかな方向性としては「まったく問題ない。この学校はキリスト教の修道士が作ったし私自身もキリスト教を信仰しているが、この授業はキリスト教の考え方を押し付けるものでもなければ宗教そのものについてしか取り扱わない訳でもない」というようなものだったと記憶しています。

この「私は◯◯だが/◯◯と考えているが、それを押し付けるものではない」というスタンスは日常においても非常に大切なことだと思います。

 

結局社会で(=つまり人生において)一番大事な考え方というのは「自分同様に他者を尊重する」ことだと思っていますが、尊重や理解には必ずしも賛同や共感が必要な訳ではありません。そのことを分かっていない人たちが世の中には意外にも溢れているため、まともな議題に対して議論がひどくくだらないものになってしまったり、SNSでのいわゆる"クソリプ"やそれに伴う炎上が起きてしまうのかもしれません。

私自身、相手の意見を聞いて「納得はしたが共感はしない」「賛成はしないけど言いたいことは分かった」というような言い方をすることは非常に多く、他人についてもこの言い回しができる人は「頭がいいなあ」「価値観に対して広い視野を持っているなあ」と感じます (自分が頭がいいと言っている訳ではありませんが、そうありたいと思っています)。

 

その点で、多くの日本人の宗教に関するアバウトな捉え方は文化的な相互理解を促進する一因になっていると思いますし、不思議なようでいて悪くはないんじゃないかと思います。

さらに、旅行の段で書いたような、色々なものに触れて自分の視野と見識を広げ・深めることはそれを後押しするものだと思います。個人的な範囲で楽しみながらできますしね。

 

僕自身あまり積極的な性格でもなければ人生経験が豊富な訳でもないですが、何事も経験だというのは日々感じるところではあります。

他の記事でも書いた気がしますが、大学生の途中から「迷ったらやってみる」という選択をした結果、人生がより楽しくなりましたし、色々な意味で知見も広がりました。

 

要するに、社会にもそれなりに貢献しつつ(迷惑はかけても害は与えずに)人生を楽しく生きるには、多様な価値観を受容し吟味できる器を自分の中に育てること、そしてそのためには色々な経験や人に触れることが大事なのかなと思います。

というようなことを旅行中のんびり考えてました。日々感じていることではありますが、一人旅でぼーっとする時間が生まれるからこういうことを言語化して再確認することもできると。旅行自体から得るものもあり、移動などのスキマ時間ものんびり楽しめる一人旅はやっぱりいいですね。

 

 

ということで、以上の文章を締めたいと思います。

内容や表現に拙さや多少の過不足はあれど、自分が人生の中で一番メインに考えている部分についての文章、かつ珍しく真面目に文化を構想する記事が書けたので僕は満足です。

おわり