げんろんのじゆう

人生は与えられたカードでの真剣勝負

マイコンプレックス

ちょっと珍しい持病の話です。ずっと付き合ってるけどまだ愛着は持てません。

記録を兼ねた長めの自分語りなので、重くもないけど面白くもないです。

 

早速なんですけど僕には持病がありまして、お医者さんに言われた診断名で言うと「発作性運動誘発性ジスキネジア」というものです。ジスキネジアではなく舞踏アテトーゼ(アテトーシス)ということもあるらしいです。症状については人によってある程度幅があるようですが、本文は全て個人的な症例の話であって同名の症状を持つ人すべてが同じ訳ではありません。念のため。

この病気が割と人生や価値観に大きく影響してるのと、人に理解してもらうのが大変億劫であるために一度どこかでまとめてみたかったというのがこの記事を書くに至った経緯です。

 

 

具体的な症状としては、腕・足(とたまに顔)が、自分の意識とは関係なく唐突に変な動きをするというものです。手足がこわばるというか力が入らないというか、言い表すのもどんな動きかを文字で表すのも難しいのですが、糸で吊られたマリオネットの手足がカクカク変な風に上下するようなのをイメージしてもらえれば割と近いんじゃないかと思います。顔の場合は一方向に引っ張られるような感じで歪みます。四肢それぞれになる場合と左右半身とかの単位でなる場合が多いです。

 

この症状が起きる前には、前兆として数秒前から該当部位がふわふわするような、浮遊感を感じます。これで「あっ来るな…」と分かるので多少準備というか気構えのようなものができます。波が来るような感じのイメージです。

その時の体調(の問題なのかは不明)によって症状の大きさは変わりますが、一番軽い場合は力を入れたり体を静止したりすればやり過ごせ、一番重い場合はまったく自制が効かず、その場で跳ね上がったりのたうちまわったりします。無理に踏ん張ったりすると足をつったりする可能性があるうえ、人目のあるところでなってしまう場合、この「自制が効かない」というのが一番厄介なところです。

 

継続時間は5秒から1分ほどで、特別痛みを伴いません。変に足をつったりどこかに体をぶつけたりしなければですが。症状に対抗して動きを止めるのは、5〜20秒もあれば波が収まります。意外と短いじゃん、と思った方もいるかもしれませんが、これが1〜5分に1回以上のペースで起きているというのが2番目に厄介なところです。

浮遊感→力を入れて抑えられる というような軽いものであっても毎日このペースでびくびくしなければならないのは多大なストレスがかかります。症状の大小も起きてみないと分からないというのも面倒で、簡単に言うと人前では基本ずっと気が抜けません。寝ている時は何ともないのが救いです。

 

この文を読まれている方は99%知り合いだと思うのですが、僕と並んで歩いているとき、僕だけ歩き出しが遅かった/なぜか途中で少し歩みが止まった/気付いたら少し後ろにいた といった経験はないでしょうか。これは前兆の浮遊感に対抗するため体を少しの間停止させているからです。なるべくバレないようにしているのですが限界がありますし、ほとんどの人は違和感を持ったことがあるのではないかと思います。この場を借りてお詫び申し上げますが、自分の意思で治すことはできません。すみません。

 

ちなみにこの症状は何もせず立ったり座ったりごろごろしていても起きるのですが、特に起きやすいのが(特に急に)動き出すとき・緊張しているときの2パターンです。信号が赤になって歩き出すときなどに遅れがちなのは前者のパターンですね。だいたいは靴紐を結んでいたふりをしていますが、本当に結んでて出遅れたのは20回に1回くらいだと思います。

 

 

症状が初めて起きたのは、確か小学校1〜2年生のどこかでした。今からだと15年以上前になります。サッカーをしている途中にうまく走れなくなったのですが、当然原因が分かる訳もありません。この時は頻度もそう多くなかったはずです。それが何回か続いたところでさすがにおかしいと思い、母親に「最近運動するときにうまく動けないことがある」ことを伝えました。

この時「体が変な状態になる」ことから、我が家ではこの症状を「へんじょう」、症状が起きることを「へんじょる」と呼んでいました。今でも。今まで文字にすることがなかったので表記に悩みましたが、略語とはいえ漢字のイメージはないのでひらがなにしました。お気楽な響きの活用形もあることですし。

 

初めは小児科に行きました。先生もよく分かっていない様子で、体を細かく動かす習慣をつけさせるため(だったか?)、ケンケンパなどを一日数回行うよう言われました。何回かやって明らかに意味がなさそうなので勝手に自己判断でやめてしまいましたが、結局神経系の病気だったので特に意味はなかったものと思われます。

結局当時は「病気」という確かな認識もないまま、何とかやり過ごしながら毎日を過ごしていました。人に説明できないし医者ですら分からないことを言っても周りに理解されない(と思っていた)ので隠していましたが、これが本当に辛かった。

 

一番ひどいのが短距離走でした。前述したように急な動き出し・緊張がある場合は高確率で症状が出るのですが、ヨーイ、ドンで走り出す行為は明らかに相性最悪でした。まともにスタートが切れないまま足をグネグネさせながら走り出す姿はひどいものですが、その弁解もできないうえ嘲笑に堪えるメンタルも持っていないということが余計に惨めでした。

こちらは真面目に一刻も早くまともな状態になって走りたいのですが、さすがに皆が走り出す中止まっていようものならふざけているとしか思われないために泣く泣く動き出すしかなく、そのため症状を静止できません。長距離であれば最初無理やり抑えながらゆるゆる走って、波が収まれば開始数十秒後からは普通に走れるのですが、短距離走では治った頃には終わっています。

その結果、歩くのより遅いレベルになるので、50m走の記録は高学年になっても12秒とかでした。運動能力の問題ではないので仕方ないのですが、おかげでタイムの相場すら分からないので今でもそうした話題になると明言を避けています。

 

当然、最悪のイベントは運動会でした。自分の成績がチームの負けにつながることもありますが、一番は衆人環視の状態で競技が行われるということです。ある年のタイム順に振り分けられた一組4人の短距離走では、自閉症の子×2・体育を休んでいてタイムを計測できなかっただけでリレー選手に選ばれるほど足の速い子・僕、という一番遅い組に入りました。メンタルがキツかったことしか覚えていないのですが、あの時果たして2着になれていたのかどうか。

騎馬戦とか組体操も自分が揺れようものなら周りに影響が出て勝敗や全体をぶち壊しかねないので死にものぐるいでした。皆が体力とかスピードとかパワーとかで競っている中、僕はひたすら自分との戦いでした。

こうして僕は運動が嫌いになりました。

 

誤解されがちな(というか自然に運動の機会を避けられるようそういうキャラを作ってきた)のですが、体を動かすのは人並みに好きです。ただ、自分の思い描く最低限のパフォーマンスすら発揮できないために他人から笑われたり見下されたりすると、心が恐怖や屈辱に近いものでどうしても満たされてしまうのです。

運動を避けていれば当然体力も技術もつかないため輪をかけてできなくなっていき、今も運動は得意ではありません。そこから来る悪循環的な苦手意識ももちろんあります。しかし、それらと引き換えにでも、運動嫌い(苦手)キャラを確立することが僕にできる最大限の自己防衛でした。

 

授業で前に出るときなども、自分から手を挙げたのに立ち上がった瞬間に症状が出たため、モジモジ(しているように見える動きを)してクラス全員に注目されてから前に出て、顔を真っ赤にしてつまらない答えを言って席に戻った、というような失敗体験が何回かあります。

 

 

中高になってもあまり状況は変わりませんでした。日常の中での発症頻度は増えたのですが、運動会に全員走る競技がなかったことが本当に救いでした。記憶にあるとすれば、短距離走の測定時に変な動きで走っていた時に、普段話さないリア充サッカー部の子に「あの怖い◯◯先生の前で遊ぶなんて、意外と根性あるじゃん」となぜか評価されたことくらいでしょうか。大真面目にやってたよ僕は。

まあ周りに病気が知られてない時点でそもそもその努力が日の目を見ることはなかったのですが、全力で隠していたおかげか、小中高といじめに遭うことはありませんでした。小学校では勉強ばかりできるやつ、中高ではポケモン遊戯王ばかりしていた日陰者だったので、大きくいじめられたりすることがなかったのは幸運と言うほかありません。

 

部活では競技かるたをやっていたのですが、次の歌が読まれるまでに時間があるので自分の中でタイミングを調整できることと、最悪動かなくて一枚取られてもそこまで痛手ではないこと、そもそも基本的に誰からも見られていないことなどから、意外にもこの病気には好相性でした。せいぜい音を立ててはいけない場面で変な動きが出ないように気を遣うくらいでした。一度だけ顧問に試合を真横で監視されているとき、前兆の波が来てヤバいと思ったのでまったく動かずにいたら怒られたことがありましたが、そのくらいでしょうか。

むしろ厳しかったのは大会の開会式や表彰式です。大会の入場行進時にうまく動き出せずに後輩に先を歩いてもらったり、表彰で名前を呼ばれてもパッと立ち上がれなかったり。今でも式典の類はいつ呼ばれても動けるような準備をしておくのですが、これがなかなか大変です。恥をかくだけならいいのですが、いや良くないですが、周りに迷惑をかけるとなるとより辛いですね。

 

 

そんなこんなで大学への進学が決まるのですが、ここで転機が訪れます。大学一年の夏なので、今から5年ほど前になります。父親から僕の症状を聞いたてんかん持ちの叔父が、中高の同級生で自分もかかったことのある医者がいるから一度行ってみないかと勧めてくれたのです。正直医者にかかるという選択肢が抜け落ちるくらいに当時の僕はその病気に慣れきってしまっていましたが、治る可能性があるなら藁にもすがりたい思いでした。

病院がある千葉の流山に着き、先生と話しました。どんな症状が出るかやってみせて、と言われても恥ずかしさと不自然さからうまくできませんでしたが、とにかく必死に説明したら伝わったようで、「君のはおそらく発作性運動誘発性ジスキネジアという病気だろう」「神経内科の先生なら誰でも知っているが、それ以外の科では滅多に知られていない病気だ」「完治するかは分からないけど、てんかんと同じ神経を抑える薬で緩和できるはずだよ」など、さまざまなことを教えてくれました。ちなみに処方されたのはテグレトールという薬です。

 

この時の感情を正確に表すのは大変難しいのですが、「やっぱり病気だったんだ」という緊張、同じく「やっぱり病気だったんだ」という安堵、「僕の他にもいるんだ、そりゃそうか」という驚き、等々。

さまざまな気持ちが渦巻きましたが、自分のよく分からない不安の種に病名がついたことに対する安心感が一番大きかったように思います。人は正体が分からないものに恐怖するというのは本当なんですね。

 

薬は効果てきめんでした。薬が効いている期間(1〜2日間)は体を静止したり力を込めたりすれば、基本的に波が10秒程度で収まり、症状が出るまで至らないことの方が多いです。前兆となる浮遊感は変わらず高頻度でありますし、反対に言えばその程度が限界なのでしょうが、自己管理さえしていれば外で体が勝手に暴れ回る心配がないというだけで心が救われました。それまでは「足がつった」という言い訳を多用していたのですが、頻繁に頼るにはやや不自然な言い訳もせず済むようになりました。

紹介状を書いてもらったことで、近くはないけど…くらいの大学病院に通えることになり、3ヶ月に1回のペースで薬をもらいに行くことになりました。おかげで大学の授業を切ったり会社に入ってからも有休を定期的に取ることになりましたが、対価を考えれば安い買い物です。おかげで大学生活は人間関係とともに自分もある程度リセットして、今までより明るく過ごせるようになりました。

 

病名を与えられてからは、当然ですがめちゃくちゃ調べました。スマホって便利ですね。一番気になっていたのはこれは治る病気なのかということでしたが、どうやら「多くは歳をとるとともに緩和されて消えるが、一生消えない場合もある」ということのようでした。治療法が確立されていないためか、国の指定難病にも登録されていました。難病申請(お金貰ったり)や障害者手帳の申請が通るのかは不明ですが、現状なくていいやと思っているので調べていません。

治療法云々について言うと、命にかかわらないうえサンプルが少ないためか研究もあまりされていないようで、調べたところ長崎大学医学部のHPしかヒットしませんでした。それも2017年くらいで更新が止まっています。まあ簡単に言うと、めちゃくちゃ情報少ないし、どうやら研究が進んでいないっぽいということですね。原因となる遺伝子は特定できていても、どうしてそうなるのか、同じ遺伝子を持っていてもならない人がいるのはなぜか、などが明らかになっていないということらしいです。

20余年生きてきて医者以外にこの病気に心当たりのある人に出会わなかったということからも薄々予想していたとおり、それなりに確率の低い病気だということです。15万人に1人だとか国内に100〜500人という記述を見かけたこともありますが、実際のところは定かではありません。悲劇の主人公ぶるには色々と不足していますが、絶妙に嫌なラインだという言い方もできますね。

 

ネットの海には他にも、分類が難しい似たような名前の病気がたくさんあることや、人によって持続時間や痛みを伴うかなど症状の重さに差異があることなど色々情報が落ちていました。とはいえ情報の9割が論文かYahoo!知恵袋から得られたものなのが何とも悲しいところです。ただ、知恵袋だと同じような悩みを相談している人がリアルな感じでたくさん見えて少し励まされるので、気持ち的には結構ありがたかったです。今でも半年に1回くらいふと思い出して調べてみるのですが、特に情報に進捗はないようです。

 

 

時系列の話に戻りましょう。大学では体育がなかったので高校までのような悩みはありませんでしたが、症状は変わらずありました。女子に「奥の席に座らせてくれませんか?」と急に話しかけられた時は、体が動かないだけでなく顔の範囲を巻き込んで症状が出たため、「ア…アウ…」と女の子と話したことない人のような反応しかできず、5秒後くらいに怒った顔で立ち去られたこともありました。

 

あとは運転の問題もありますね。運転中に発症してハンドルが回せなかったり、波を抑えるために足に力を入れたらアクセルを踏んだり、といったことが怖くて車は運転できません。どうでもいいところだと友達や彼女と気軽にドライブに行けないとかそういう問題があります。まあ大学生してるうちはそんなレベルで良かったのですが、社会人になるとこれが真面目に響いてきます。

 

まず、身分証として運転免許証が使えないという問題です。誰でも持ってるだろっていう社会のスタンスがマジで気に食わない。学生時代は学生証でいいのですが、その身分を失うと顔写真と住所とかがはっきり載っているものって実はパスポートくらいしかないんですよね。

流石にパスポートを常時携帯する訳にもいかないので、僕は悪評の絶えないマイナンバーカード†を取得しに役所に出向きました。マイナンバー窓口に並んでいる人が僕以外すべて高齢者の方だったことは今でも鮮明に覚えています。たまーに役立つのですが、紛失のリスクを考えると微妙なところです。

 

加えて運転できないというのは就活および社会生活で微不利です。まず就活でESの資格欄に多くの人が書ける普通自動車運転免許」所持を書けないことから始まり、営業に行くとき車必須であることを知って受けるのを諦めた企業なんかもありました。営業じゃなくて経理とか人事とか受ければいいじゃんと思われるかもしれませんが、まず希望の選択肢が自動で削られるってだけでも痛いですし、事務・管理系で説得力ある志望動機を用意するのって結構難しいと思います。あと、1社だけESに既往歴などを書く欄があったので持病のことを書いたのですが、その会社だけ唯一ESで落ちました。あら分かりやすい。

 

また、地方では車前提の社会が形成されているという点も厳しい要因です。僕は東京出身で今は岡山県の事業所に配属されているのですが、割と栄えてるところなのにほぼ車必須です。

田舎はいい歳して車持ってないとバカにされるとかそういう文化もあるそうですがひとまず置いておいて、物理的に色々キツい。車がなくても仕事は全然やれますが圧倒的に不便なのは否めませんし、休日の行動範囲にはだいぶ差が出ます。公共交通機関が発達していないところは田舎って呼ばれても否定する権利はありません。

 

あと、医者にかかって良かったことは、意外にもお酒に関することです。僕はお酒が苦手なのですが、常用薬の注意欄に「アルコールはできたら控えるように」と書いてあるんですね。薬の作用・副作用が強まるおそれがあるとのことです。

実際にはお酒を飲んでも何か起きたことはありませんし、付き合いもあるのでちょくちょく飲んではいるのですが、いざとなった時に相手が強く言えない切り札を持っているのだという安心感は結構心の支えになります。反対に、僕がお酒大好きだったらむしろこの一文を枷に感じて忘れ去っていたかもしれません。

反対に、お酒をまったく飲まなくても苦ではないどころかありがたいのにもかかわらず、飲まないくせに運転できないので皆の役に立てないのが申し訳ないところです。さらに言えば、むしろ「運転あるから飲めない」という言い訳が使えないのが不便です。

 

 

そういえば、最近ではカミングアウトすることも普通にできるようになってきました。主に説明の面倒くささ・理解されなさと恥ずかしさから、中高生の頃まではごくごく一部の友人と、目の前で発症して弁解の余地がなかった場合にのみ説明していました。

ある程度気を張らずにカミングアウトできるようになったのは、正式に病名がついたことと周囲の年齢および精神年齢が上がったことの2つが大きかったように思います。やはり病名がついていると自信と諦めを持って説明できるようになりますし、周囲が下手にイジってこないだろうという安心は最低限欲しい要素でした。

実際には過度な心配やズレた心配を受けることも多いのですが、そこはもう慣れました。特に会社の人事や上司からは、「最初はめちゃくちゃ心配してたけど見てたら何ともなさそうで拍子抜けした/安心した」というようなことを言われることが多いです。実際はもう少し色々な気苦労があるのですが、アピールすることではないと思っているのでまあこんなもんかなという感じです。

 

そろそろこの文章も終わりに近づいていますが、最後に書くことがあるとすれば、この持病の存在が自分の価値観と人格に多少なり影響を与えたということです。

僕は大学で各種マイノリティ(社会的少数者)に関する学問や議題を扱う機会が多かった(そしてどちらかといえば「マイノリティを特別視せず受け入れよう」という立場を取っていた)のですが、それももしかしたら、人に言いづらい/理解されづらいハンディキャップを背負った自分について「マイノリティ」であるという意識があったからではないかと思います。大学3年生頃まで気がつきませんでしたが…

弱さや痛みを経験した人は他人に優しくなれる、と言いますが、それに近いようなものではないかと思います。日々の人柄が優しい人間であるかは別として、他人にもそれぞれの事情があってそれを最低限尊重すべきだというスタンスは崩さずにいきたいです。

 

ひとつ注文をつけて生まれ直せるとするならこの病気をなくしてほしいと思うくらいにはアレなんですが、もしかしたら今以上に痛みを知らない人間になっていたら、何かしら人格上の欠点が増えるのかもしれないと思うと微妙なところです。「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」とはフィリップ・マーロウのセリフですが、なかなかに刺さります。

とはいえ、弱さとタフさを両立してこれからものらりくらりと生きていければ、こんな不便な人生にもそれなりに満足できそうです。

いずれにせよ、結局は今ある環境でどう行動していくかが大事なんだろうと思います。

 

f:id:genuinegen:20190623005239j:image byポケモンBW四天王・ギーマ

 

長文を読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

【追記①:障害者手帳について】

職場にめちゃくちゃ元気だけどペースメーカー入れてて障害者手帳1級を使いこなしてる人がいまして、その方から「持っていてもデメリットはないし割引とかのサービス受けられることがあってお得だよ!」と強く勧められたので調べてみました。

結論から言うと、そもそも取りたいかどうかは別として、運動系の不自由なのに日常生活そこそこ(今は)問題なく送れてる時点で取得できる可能性自体低いかなと思います。選択肢は広いに越したことはないとはいえ別にどうでもよくて、むしろその辺を調べたことで普通に勉強になったことが収穫でした。

 

【追記②:遺伝について】

冒頭で述べた「発作性運動誘発性ジスキネジア」は「遺伝性ジストニア」という病気の一区分になるそうです。つまりこの病気、子どもに遺伝する可能性があるんですよね。

僕の場合は母が同様の症状(のものすごく軽いバージョン)を患っていたようですが、中学〜高校の間くらいで気づいたらなくなっていたと聞いています。なので病名や薬についての知識もなかったとか。もちろん今より研究が進んでいなかったというのもあると思います。

大学に入るまで医者や薬といったものを頼らなかったのは、これを聞いていた影響もあります。20代半ばになった今も治ってはいませんが、歳とともに消えてもらう頼みであるという方針自体には変わりありません。

母は最初自分の体験と僕の症状を結びつけて考えていなかったようですが、途中からそういった可能性もあると気づいたようです。個人的には親のせいとかは思ったことないので、変に「私のせいで…」みたいにならなくてよかったなと思います。

 

僕は将来結婚して子を持ちたいなと漠然と考えていますが(できるかは別として)、正直子どもに同じ思いをさせたくないという気持ちもあります。僕にとっては今やアイデンティティーの一部ですが、その分人生に制限がかかったことは否めないし、子どもの場合は僕と同じ程度の症状とも限りません。現に僕は母よりも症状の影響を強く受けています。あと他の障害とかと併発でもしたらキツいだろうなとも思います。

指定難病センターのHPによれば、この病気の患者は国内で数百人程度との見積もり。「遺伝性とあるが、家族内に他にも同じ患者がいることは比較的少ない」旨の記載もあります。色々明らかになっていないだけあってどっちともとれる感じ満載ということで、これがゲームとかであれば「言うていけるやろ!!」って突っ込むんですが、そういう訳にもいかないですね。

 

遺伝様式は(おそらく)常染色体優性ということで性別に関与しないようなので、そういう観点での安心もできないですね。どこかで男性の方が多いみたいな情報を見た気もしますが、定かではありません。

まあ何やかんや言ってても理論的にも実際的にも分からないことだらけなので、その時が来たらちゃんとパートナーと話し合えばいいのかなと思います。でもまあちょっとでもこういうこと考えなきゃいけないような副次ハンディキャップもあると思うと、一層早くこの病気なくなってほしいと思います。

 

【追記③:コメントについて】

同じ病気を持っているという方(これを書いている時点では2名)から、この記事へコメントを頂きました。もともとは自分のための記録&物好きな知り合い数人が読んでくれればいいなといったつもりで、まったく知らない人に読まれることを想定して書いた文章ではなかったのですが、偶然でも目に留まったこと、そして反応を頂けたことを嬉しく思います。恥ずかしいですが…

おそらく病名で検索した際に引っかかったのではないかと思いますが、それはこの病気に関する記事や文章の少なさの表れでもあります。メジャーになってほしいというと語弊がありますが、研究が進んでほしい・理解が広まってほしいという意味ではある意味残念なことです。

一方で、数少ない同じ境遇の人に出会えたことは自分にとってもこの文章を見つけてくださった方にとっても喜ばしいことです。もしかしたらコメントしてないだけで読んだよ、という方もいるかもしれませんし、特に自分の症状に不安や悩みを抱えている方の安心材料にでもなれば、それ以上に嬉しいことはありません。

 

 

おわり