げんろんのじゆう

人生は与えられたカードでの真剣勝負

僕の人生いつも周回遅れ

追いついたと思っても皆もう次のところに行ってる。

 

昔から周りの友達とか世間一般の同世代に比べて一歩遅れているという自覚がある。

誰でも多少はそうであるように、一部を切り取れば人より恵まれた環境や優れた能力ももちろん持ってるはずなんだけど、裏を返せば残りの一部はそうでないということになる。よね?

 

流行りについていけていない、というのはだいぶ近い感覚かもしれない。完全に合致する訳ではないけどニアリーイコールにそれがあるのは確かだと思う。

 

子どもの頃を振り返ると、我が家は行儀が悪いからという理由から、食事中にテレビを見る文化がなかった。

何がやってるか知らないのもあり、別に見たいとも思わなかったので、見る番組はいわゆる子供向けアニメ(ポケモンデジモンガッシュ・ジャンプ系作品・etc...)だけだった。別にテレビが禁止されてる家庭でもなかったけど、特別執着がなかった感じ。

 

でも周りが見てるのはドラマやお笑い、あるいは音楽番組。それで盛り上がってる子たちは当然のように、「見てないの?」「知らないの?」

修二と彰野ブタパワー?いやそれ僕の世界にないんだけど。

馬鹿にしてくる訳でも押し付けてくる訳でもないとはいえ、単純に知らないのってキツい。寂しいとか難しいとかを色々包含してキツい。

 

両親は本には潤沢にお金を使ってくれたけど、いわゆる流行りのおもちゃには財布の紐が少々固かった。

学童クラブで遊ぶ時、皆が持ってきているビーダマンやらポケモンフィギュアやらは常に借りて遊ぶ物だった。遊戯王カードはまずデッキを組むのに必要な枚数がなかったのだから仕方がない。

 

ポケモン(ゲーム)やベイブレードは適度についていけてたものの、最新のモデルや攻略本や通信ケーブルや改造機器なんかを持ってる子にはやっぱり一方的な遅れを肌身に感じた。長男だから耐えられたけど、長男だからお下がりはなかった。

誰にも言ったことはないけど、同じ物を僕が持ってたらもっと上手く使えるのに、と思ったことは数知れない。

たまに友達から借りたフィギュアや機体やデッキで大勝ちしても、「俺のだから返せ!」とムキになられたらその時点で僕は勝負の外に追い出されてしまった。持てる者が強いのだ、という嘆きとともに、面倒な子を相手にする時は機嫌を伺いながら遊ぶことを覚えた。

 

我が家はおこづかい制度がなかったことに加え、お年玉も単価・人数ともに少なく、ギリギリ気にならない程度の格差は常に存在した。

小学校高学年の時、僕が1000円×3(くらい)を貰って、そうか相場はこのくらいなのか、と思っていたところに友達2人が「お年玉どうだった?うち4万しかなかったよ〜」「うちもそのくらい…足りないよね〜」と話していたのを聞いた時の動揺は未だに忘れられない。

 

我が家がいわゆる裕福な家庭に属していることが分かるようになったのは、恥ずかしながら高校生も終盤になってからだった。自分より圧倒的に多くのキラキラした物を持っている同じ地区に住んでいる子たちを見て、「うちって貧乏なのかも」と思った当時の僕にさほど非はないはず。

当時の僕にはあまり見えていなかったけど、よく考えたら小学校の同級生には毎年ハワイで正月を迎えるという子もいれば、シングルマザーのお母さんが近所のコンビニで長いこと働いている子もいた。今から思えば、家庭の経済状況をもとにいじめ等が起こらなかった僕の周りは、文字通り育ちがいい環境だったのかもしれない。

 

中高は金持ちのボンボン私立学校だったので、当然ながら自分は庶民であるという変わらぬ自覚のもと数年間を過ごした。

そんな中、確か高3のとき、公立高校に通う彼女に対して「うちは庶民だから〜」という発言をしたら、「何言ってるの?うちの学校にはお金がなくて私立はそもそも受けさせてもらえない、大学行けない友達もいるんだよ!妹さんだって私立行かせてもらってるんでしょ?自分の高校の学費知ってる?」と本気で怒涛の説教を受け、ようやく目が覚めた次第である。

正直、頬を引っ叩かれたくらい衝撃だったし、恥ずかしかった。

 

でも、逆マウントを取ろうとイキってた訳でも同情を買おうと思ってた訳でもなく、本当にそう信じていたのだから仕方ない。

そういえばうちの父の勤め先や両親の出身大学を誰かに言った際、驚かれることはあっても知らないと言われることはなかった。それでも幼い僕の頭の中には「会社」も「大学」も世の中にはいっぱいある!くらいの認識しかなかったから、特に会社に関してはまず名前を言って伝わることにこちらが驚いたくらい。

世の中にどんな会社やどんな大学があるのか、どんなところが"普通"とされるのか、僕は何も知らなかった。そんなところも僕は周りから遅れている。

知らないことは時として罪だけど、自力で無知に気付くことは相当に難しい。世界の広げ方は、あるいは世界を広げる必要があることは、世界が広がってからでないと見えてこない。皆どうやって僕の知らないことを日常の中で学んできたんだろう。

 

子どもの頃の話に戻る。子供の中では大人の世界以上に「流行」のパワーは絶大で、それが世界の中心でうねりを作り出している。テレビの話は上でも書いたけど、やはりメディアの役割は大きい。

 

小4の時、授業参観の日に先生が「皆に人気のあるお題が書かれた5枚の紙を教室の端に置くから、それぞれ自分が好きな物の所に行って、好きだと思うところを話し合ってみましょう」という授業をやったことがあった。

いくつめかのテーマはテレビ番組で、エンタの神様はねるのトびら世界一受けたい授業・などなど。あとは忘れた。

世界一受けたい授業以外見たことがなかったのでそこに行ったものの、他の子は盛り上がりながら均等に散っていった。「この番組好きだけど、それより他のやつ知らなくて…」と言った時に、「私も」みたいな声がいくつか聞こえて、心がザワつきながらも安心するのを感じた。

 

このザワつきが何に起因するものかはうっすら気付いてはいたけど、向き合いたくはなかった。マイノリティである自分を直視したところで、それ以上深掘りして考える程のものでもないような気もした。

必ずしも流行に乗っかりたい訳ではないけど、今名前出てた番組さえチェックしておけば最低限ついていけるのかな、とぼんやり思ったことは何となく覚えている。

 

テレビは家のビデオ機器が新しくなったのをきっかけに知らない番組も見始めたら、やっぱり面白かった。エンタの神様を見始めて、ようやく周りと最先端の話ができた。ようやく友達のモノマネより先に本物の流行ギャグを見ることができた。それが面白いかは別として、そのギャグを知っている状態でいることは、クラスに存在する自分の階層を5ミリは上げていた気がする。

 

でも、5年生になって、家にテレビを持たないという担任の先生が「今何が流行ってるの?」と聞いてきた時に「嵐〜!」って答えてる子たちと一緒には叫べなかった。

「嵐っていうのはアイドルなのか… え、マツジュン?アイバちゃん?」って目を白黒させながら黒板にメンバーの名前を書き出していく先生と僕は同じ立場にいた。

 

中学時代は電車通学になったこともあって放課後に友達と遊ぶ機会が減ったので、部活のない日に録り溜めてたテレビを見る癖がついた。

それはそれで楽しかったし自分の財産にもなったけど、その時周りの皆はPSPでやるモンハンに夢中だった。皆の乗ってる波、流れ速くない?

 

一方で、小学5年生以降は(中高も含め)ジャンプの話を毎週できる友達が増えたので、そこでは最先端を走っていくことができた。

我が家では両親がジャンプを毎週買ってくるので6歳から読んでおり、家族の共有物なのでお金がなくても読むことができた。何だかんだ毎月1000円弱の出費は小学生には痛いものだし、お金があっても単行本派の子は時間的に遅れを取ってしまうので、図らずもマウントを取りやすい環境だった。

 

その他に最先端にいる自分を感じた時は学生身分の間は悲しいことに一度きり。小学校高学年のとき、珍しく買ってもらったゲームのCMをテレビで見たとき。

それまでCMでやっている新発売の何がしかは常にテレビの向こうの世界のものであり、友達が持っているものであり、自分とは物理的に触れ合わないものだったので、驚くほどテンションが上がった。

最新の物を持っている友達。遊ばせてもらう自分。その構図が入れ替わることはなくても(そもそも望んでいなかったが)、一瞬だけ追いついたような手触りがあった。書いてる文章に酔ってる訳じゃなく、本当にその一瞬だけ世界の色が鮮やかに見えた。

 

そんな訳だから、かねてより最新の物を持つことや、自分で選んで何かを買えることには憧れがあった。大学に入って自分でお金を稼げるようになってからは、当然少しずつそうした機会も増えていく。

とはいえ、そもそも何を買ったらいいか、という話になるとこれまた難しい。悲しいことに、世界が狭いとそもそも物欲が生まれないことを知る。

 

僕に限らず、小学生の時には、親が選んだ服や同世代から少し年上の世代で流行っている遊びなど、要するにお仕着せの型にはめられた中で生きていた。

それがいつからか、中学生・高校生になった不特定の同世代たちは、オシャレなるものを学び、映画やカラオケといった街での遊び方を深化させ、恋や性の機微を知り、音楽や映画への造詣を深くし、勉強や仕事への意識を高めていた。僕は高校受験のない中高一貫校に通いながら、部活とポケモンを6年間頑張っていた。

 

KY=空気読めない という言葉が昔流行ったが、よほど天性のものでもないと、空気を読む力は経験値に比例する。さらに言い換えれば、空気を読む力とは知識とセンスに他ならない。僕にはどちらもなかった。

例えば友達と行ったカラオケでどんな曲を入れればいいのか。小6だか中1だかで初めて友達とカラオケに行った僕は、そもそも流行歌を知らないので、「周りの歌っている曲はほとんど知らないけどそれでも楽しい。ということは皆も同様のはずだから、自分が歌いたい曲を歌えばいいのだ」という思考に至った。

悪くはないが普遍的な「正解」でもない。仲の良い同世代ならそれでもいいが、女子や初めて会う人がいる時には必ずしもそぐわない。とりあえず皆が知っているアップテンポの盛り上がる曲を入れておけ、と誰かが教えてくれれば何か変わっただろうとは思う。いや、今でも「こいつらは何の曲を知っているんだ…!」と悩むことは多いので、レパートリーが少ない昔ではどっちみち対応できなかったかもしれない。

 

当然のことながら、容姿にも無頓着だった。服は親と一緒に買いに行くもの or 誰かから貰うもので、ユニクロとGAPしかブランドを知らなかった。女子の目があれば勉強するのかもしれないが、何というべきか、男子校であった。

ちなみに今もアクセサリーをつけたことがないし、ワックスの付け方は未だに知らない。髪は生まれ持った黒髪がいいので染めることはないし、ピアスは怖くて開けられない。

 

高校生までは制服でよかったが、大学に入ると毎日私服になる。通常であれば無知無学の陰キャはさらに淘汰されるべきところ、先述したように高3の時にはなぜか彼女がいた。

あまりに無頓着な僕を見かねてか、私服やカバンを買いに連れ出してくれたおかげで、世間で言う大学デビュー状態で何とか入学日を迎えることができた。ちなみに初めて自分の金で服を買うということで値段を気にしながら服屋に入った時の感想は、「高い」だった。H&Mだったけど。

よく考えたら、世間で言う大学デビューはもっとイケてるやつのことを言うのかもしれない。昔のこと&自分のことなので判断しかねるけど、僕のはマイナスがゼロ付近になっただけだった可能性が大いにある。

 

とりあえずその彼女のおかげで、一般人に溶け込めるところまで引き上げてもらった。この表現が良いか悪いかはさておき、人並みの階層に「引き上げてもらった」というのは実感に即したところで、「僕もそっち側の世界に踏み入っていいんだ」と思ったのを覚えている。

「服屋に入る」という一般人にとっては壁とも思わないであろうハードルを突破したことで自信がつき、その後は人並みのことは徐々にできるようになっていった。陽キャ陰キャという言葉は好きじゃないけど、ランクで言うと、陰の陰の陰の陽から陰の陰の陽くらいまでレベルアップした。

なお、僕の世間知らずさや幼さも影響して、その彼女とは程なく別れた。いち人間としては未だに根に持つ部分もあるけど、元恋人として見れば心から感謝しているし、当時あんな僕の相手をしてくれていたと思うと感謝というより謝罪したくすらある。

そもそも付き合うに至った発端は(うろ覚えだけど)向こうが偶然にも僕の容姿に興味を持って話しかけてみたら意外と面白かった、というようなことだった気がする。褒められることもけなされることもある容姿だけど、彼女に当時気にかけてもらえる容姿に生まれられて良かった。

上手い言い方が思いつかないけど、要するに世間受けしない顔面と体型だったら、一般人に紛れるところまで「上がる」ことも難しかったように思う。男性は女性ほどではないけど、容姿(特に顔)というものは人格形成や人間関係、ひいては人生に多大な影響を与えることは疑うべくもない。むべなるかな。

 

大学では楽しいサークルと最高のゼミ、ホワイトなバイトに身を置き、ラーメン探訪に明け暮れ、ダーツビリヤード麻雀といった大学生らしい遊びを教えられ、そして教え、瞬く間に4年間が過ぎようとしていた。

3年生の終わり頃には就活があった。皆はインターンやら留学やらOB訪問やらWebテストやら、とにかく僕から見て先へ進んでいた。一応真似事をしたこともないことはなかったが、それは所詮真似事にすぎず、本気で自己分析やら業界研究やらに取り組んでいる人たちと同じステージに立てている訳ではなかった。

 

就活エピソードについてはまた他の機会に書くかもしれないけど、とりあえずそれなりにやってたら落ち着く先が見つかった。めでたし。でもこの時感じたのは、知識やセンスの差じゃなく、努力や思考の差だった。

僕は色々な情報の上澄みをすくい、できるだけ難しいことを考えるのを放棄して(真面目にやってはいたが)就活に取り組んでいた。1つを除いて後悔はほとんどない。でも、より結果に満足していた人たちは皆努力していた。自分の頭で考え、先輩や人を使い、目標に向かって良い意味で汗をかいていた。

 

別の記事にも書いたけど、僕は悲しいことに怠惰でそれができない。ある程度道筋を示されて強制されればやれる程度の能力はあると自負してるけど、自律して努力する方法は中学生の頃に忘れた。まあ目標ややりたいことが特になかったというのが一番大きいのだけど、それをじっくり向き合って考える努力も、周りに勧められてもしようとは思わなかった。

お金は出してあげるから留学行きなよ、絶対に行った方がいい、とは父の言葉だ。今後40年と今を天秤にかけた時に今頑張れないやつはヤバいでしょ、というのは先輩の一言。

大学受験の時もそうだった。極限まで手を抜いていたものの運に恵まれて進学できた。恵まれた環境を生かす能力を失っていることに気付いた頃には、皆は努力の仕方を習得していた。

 

追いついたと思っても皆もう次のところに行ってる。

幼い頃は環境の差だった。皆がテレビから得る話を、僕は友達から得ていた。気付けばオシャレになっている周りを見ながら、僕は親と一緒じゃないと服を買えなかった。

あるいは知識やセンスの差だった。周りが生得している世界の歩き方を、僕は勉強してそんな方法があることを知った。

でもいつからか努力の差に変わっていた。僕が生得していたプラスを忘れつつある頃、目標とやる気に溢れた人たちがそのプラスを勝ち取っていった。きっと天才と呼ばれる人たちは才能と努力が両方ズバ抜けた人のことを言うんだろう。

 

世界を変えるパワーがない頃は、環境で、知識で、あるいは容姿で、世界の広がり方は変わる。でもいつからかそれは自分の頑張り次第で自分の世界は変えられるようになる。

そんなことに気付くのがあと10年、いや15年早ければ…

 

 

早ければ?何か変わったんだろうか。

正直なところ後悔がないと言えば嘘になるけど、現在地が周回遅れでも、無知の知さえあればいつでも追いつけると思っている。いや、知っている。追い越すことはそもそも望んでない。

「遅れ」ている今を無理に肯定せずとも、そのままの自分を無根拠に肯定する能力と、自分の人生を楽しむ能力を、僕は成長する中で獲得してきた。

それは多分どんな状況でもそれなりに人生を謳歌できる才能。意外にもこれを持っていない人は少なくないらしい。

 

とりあえず僕は今も"遅れ"ているかもしれない自分に後悔はない。

人生を楽しんで自分を好きでいる、それだけでいられるほど強くはないけど、人の目を気にしてきたおかげで人並みの色々も分かった。たくさんの恥をかきながら人より優れているところと劣っているところを自覚できた。

 

後悔があるとすれば、小さい頃に流行りのテレビの話についていけなかったことと、ファッションの楽しみ方を学ぶのが遅かったことくらいかな。