げんろんのじゆう

人生は与えられたカードでの真剣勝負

夜半に嵐の吹かぬものかは

やっとショックが薄れてきました。

 

1週間前、アイドルグループ・嵐が2020年末での活動休止を発表しました。結構な騒ぎになりましたね。うちの家族はファンクラブにも入っているくらいの熱烈なファンなのでなかなかにショックを受けたことかと思いますが、離れて暮らしているうえLINEでその話題が上がってこなかったので正確には分かりません。

僕自身はファンクラブにも入っていなければCDを買ったこともありませんが、日本のアイドルの中で誰が好きか訊ねられたら即答で嵐、次点でSMAP、その他はまとめて置いとけ、そのくらいのレベルでは好きです。ファンというよりは愛着があるといった方が正確でしょうか。どちらにせよ、例に漏れず驚き以上の感情を抱いたうちの一人でした。

 

僕は小学生までほとんどテレビを観る習慣がなかったのですが、中学生になってから録画を含め徐々にテレビを観るようになりました。中でも『世界一受けたい授業』が好きだったのですが、ある時その日テレ番組大集合SPみたいなやつを観ていたら、何となく面白そうなドラマがふと目にとまりました。

それがザ・クイズショウ』(2009)です。

f:id:genuinegen:20190203222023j:image答えはA

知らない方も多くいらっしゃるかと思いますが、主演の櫻井くんが司会をするクイズ番組内で、問題を通してゲスト解答者の持つ闇を暴いていくという、ミステリーとしてはC級ながらエンタメ性の高いドラマでした。イニシアチブ俺とか、十二支のパワーとか、◯◯◯◯◯◯◯のすり替えとか、パワーフレーズが多かったのも印象的です。

 

僕がそのドラマを観ていた時、偶然通りかかった母親が興味を持って一緒に観るようになりました。気付けば妹も一緒に観ていました。その中で母親がある重大な発見をします。それは、櫻井くんがかっこいい(あるいは好みである)というものでした。

 

この発見は我が家のその後の方向性を大きく変えたものでした。それまで母親といえばキムタク一筋で、僕の3歳頃の数少ない記憶に母親と一緒に『SMAP×SMAP』を観ていたというものが挙げられる程です。

その母親がついに別のお気に入り(今でいう推し)を作った、そうなればもう母親のことを愛してやまない父親も必然的に興味を持つ訳です。あと前々から二宮くんがかっこいいのではないかと薄々気付いていた妹(当時小学生)をも巻き込み、我が家は着々と嵐のファンになっていきました。

 

まず、CDが届きました。これが当時タイムリーに出たベストアルバム。その後出たCDも含め、リビングでも車中でも嵐がひたすらヘビロテされることになります。おかげで当時のメジャーどころの曲はほとんど歌えるようになりました。

まあ大学入ってまたテレビ観なくなったせいでぶっちゃけ2015年以降の曲ほぼ歌えないんですが、一応は女子や世代の違う人たちとカラオケに行っても無難に乗り切れる曲をいくつか身につけることができました。何なら普通に好きなのでヒトカラ行った時に20曲くらい嵐メドレーしたこともあります。

All the BEST! 1999-2009(通常盤)(CD2枚組)

All the BEST! 1999-2009(通常盤)(CD2枚組)

 

 

続いて、毎週録画される番組が増えました。嵐の宿題くん』『ひみつの嵐ちゃん!』『VS嵐です。後になって嵐にしやがれも加わりました。普段テレビをそんなに観ない妹から、やっとテレビの面白さを享受し始めた僕まで狂ったように観てました。

マネキンファイブが好きだったのですが、当時オシャレもダサいもよく分からなかったので改めて見返したいですね。今も何がオシャレかは分かりませんが、とりあえずダブルパーカーがだいぶ上級者向けであることくらいは分かるようになりました。

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加えて嵐のメンバーが出演するドラマも当然毎週録画、家族みんなが視聴するようになりました。『マイガール』『フリーター、家を買う』『怪物くん』『夏の恋は虹色に輝く』… 僕のテレビ最視聴期と言っても過言ではないでしょう。前述したようにもともとテレビを観る方ではなかったので、この辺りから人並み程度に俳優を知るようになりました。

当然嵐が出る音楽番組も全録画です。少なくとも僕は全部は観てませんでしたが、今でも録画を忘れると母親は慌て、妹はオラつき始めます。

 

いつの日からかコンサートにも興味を持つようになり、面倒くさいのでいいや、と言った僕を除く家族3人がファンクラブに入会しました。仙台や札幌への遠征も含め、数回はコンサートに行ったようです。

「せっかくならお前も行きたい?4人分で申し込もうか」という誘いに「僕も行きたいのでお願い」と答えたら、後日「やった当たった!じゃあこの日私たち3人はライブでいないからよろしくね」と返された日のことを僕は未だに根に持っています。そして未だに僕だけが1回も行ったことはありません。

 

こうなるとCDだけでなくライブDVDにも手が出始め、新しいものが出るたびに家にどんどんと積み上がっていくことになります。年に数回もない別荘に行くタイミングで、大きめのテレビがあるからという理由でDVD鑑賞会が始まった時には呆れを通り越して一人だけ寝ました。

あと皿洗いしながら嵐の曲を歌ってたら父親が合いの手入れ始めた時は、恥ずかしくなって歌うのをやめました。

 

まあだらだら書きましたが、家族に「お前ってファンではないのに何だかんだ嵐好きだよね」と言われる僕はこうして出来上がりました。妹は遅かれ早かれという感じもありますが、家族に嵐を引き合わせるきっかけを作ったのは意外にも僕だったということになります。ありがとう、ザ・クイズショウ

 

 

さて、活動休止のニュースを聞いた時に真っ先に頭に浮かんだのは、「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌でした。親鸞が9歳の時に詠んだ歌だそうです。

 

f:id:genuinegen:20190203222239j:image意外といかつい

 

桜が明日もまだ美しく咲いているだろうと安心していると、夜中に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。つまり明日はどうなるか分からない、今を精一杯大事にしようという無常の理を説いた歌です。友達と今週のジャンプやアニメの話をすることに精一杯だった僕と比較するまでもなく、親鸞がいかに達観した子どもだったかが分かると思います。

いや、親鸞のすごさを伝えたかった訳ではありません。というか浄土真宗の開祖である以外の知識がない。

 

テレビ・音楽を最前線で引っ張り続けた嵐の活動休止報告は、多くのファンや関係者に激震を走らせた、まさに夜半の嵐だったと思います。でもより心に残っているのは、暴風に殴られた衝撃というよりも、今まで巻き起こっていた嵐が来年末には止んでしまうということへの想像からくる寂しさです。

 

結局僕が書きたかったのは、熱中しているコト・ヒトはリアルタイムで全力で応援しよう、ということでも、ましてや嵐ファン大変だねとかいうことでもなくて、ただただ寂しいということだったようです。

熱狂的なファンではないので深く語り合える訳ではないですが、この寂しさを分かち合える人がいたらゆるーく話したいです。あとカラオケで嵐ばっかり歌ってても気にしない人と、コンサート誘ってくれる人がいたら声かけてください。まあファンクラブ入ってないんですけど。

 

余談ですが、A・RA・SHIや感謝カンゲキもいいんですけど、休止前の最後の曲がStill…か5×10だったりしたら本気でグッとくるなあ。あと2年間走り抜けてほしいです。

おわり