げんろんのじゆう

人生は与えられたカードでの真剣勝負

読書録 19/3

3月は5冊読みました。

 

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

 

小学生の頃はホームズにはまっていて、明智小五郎は通りませんでした。ということもあって実は乱歩はほとんど未読でした。ミステリーはそこそこ出来が良くても一度読んだらもう十分、という物も多い中で、本作に収められていた短編はどれも再読に堪え得る出来だったと思います。

雰囲気的にはミステリーより探偵小説と言った方が合っている気がするし、厳密には狂気・怪奇を扱った作品もあるような気がします。ただ、密室・暗号・倒叙、etc...と異なるテイストの作品をそれぞれしっかりしたクオリティで、しかも100年近く前の日本人が書いてたっていうのはすごいことだと思います。表現も台詞回しも味があって、長く愛される理由が分かりました。

個人的には『二千銅貨』『二癈人』が好きでした。『赤い部屋』も話自体はすごく好きだったんですが、途中どうしても胸糞悪くなってしまうのが難でした。そういうのってあるよね。

 

ぬるい毒 (新潮文庫)

ぬるい毒 (新潮文庫)

 

嘘で人を支配することに浸る男に支配されるふりをしながらその実ずっと一歩後ろから見下している女の話。これだけ読んで分かる通り、非常にめんどくさい。心情も、人間関係も、褒め言葉としても。

作品全体に流れている主人公の感情は狂おしい程の執着のような、とりあえず恋ではなく愛とも違う何かなんだけど、語彙力が足りず名状しづらいのがもどかしい。男性の登場人物の場合はこういうのってだいたいストーカーとか犯罪の類につながっていきがちなので、こういうメンヘラとも怒りとも純愛とも違う沸点が持続するのって女性特有のものなのか?とも思ったりします。

激情の駆け引きを仕掛ける(独りで仕掛けた気になっている)のも女性登場人物にしか見られない気がします。よくある男性が(だいたい年上の先生や幼なじみの)魔性の女性に惹かれているパターンでも似たような描写はあるけど、だいたいその場合って明確な恋愛感情が存在するので似て非なるものだと思っています。このあたりは現実でもそうなのかなと思うけど、何でなんだろう。

あとそれこそTwitterとかで言おうものなら曲解されそうですが、文中で「女、女ども」というカテゴリで称される人たちについては非常に共感するというか、見覚えがありました。自身の容姿とノリの強力さを自覚して人生を渡ることを知ってる人間、要するにあざとさが見える人間(特に女性)ですね。僕めっちゃ苦手なんですよね。生理的に。

なのでそれこそ作中にあったグラビアの子たちとの飲み会とかは一度くらい経験してみたくはあるけど、面白そうなだけであって楽しくはないだろうなーなんて思いました。陰キャの遠吠えって言われたらそれまでですが。長々書きすぎました。

 

虚偽自白を読み解く (岩波新書)

虚偽自白を読み解く (岩波新書)

 

年末に帰省したとき、妹に勧められたもの。内容の大半を占める事例紹介は正直斜め読みしましたが、

①虚偽の自白は分かりやすい暴行や拷問によって作り出されるものではなく、思い込みや誘導による「磁場」から生まれる

②自白は一般に予想されるより遥かに撤回しにくいものである

③内容がガバガバでも裁判で(虚偽の)自白が信用され、有力な証拠となることも少なくない

という点が理解できたので、読んだ意味は十分あったかと思います。というかほとんどそれの繰り返しでした。再犯と冤罪、どちらも丙丁つけがたい怖さですね。気をつけなければ。

 

ご存知アンパンマンの生みの親。荒れてた少年時代とか様々なコンプレックスもあったというのが少し意外ですが、文章からは柔らかな物腰とともに一本通った芯のようなものを感じました。

自伝的部分を織り交ぜながら色々大切なことが説かれていましたが、中でも「正義はある日突然逆転する。逆転しない正義は献身と愛です。」という冒頭の二文が非常に印象的でした。自分が恥ずかしくない自分でいるために成長し続けるということが、結局は自分のためにも世界のためにも一番良いのだろうと思います。

 

フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)

 

"エゴ"にまみれた現実世界への嫌悪から宗教に傾倒し、厭世するようになった妹・フラニーと、彼女を説得しようとしても弁が立ちすぎる故に鬱陶しがられる兄・ズーイの話。後半の宗教問答はやや難解ですが、個人的には非常に啓蒙的であるように読みました。

中でも印象的だったのは、①世界やシステムを批判する際、個人的な次元の話を混同しないようにすること、②高次を目指す際、それは他人でなく自分に向けて(あるいは自分のために)行う≒神に向けて行うものであるということ の2つです。②で「神」と表現したところについては作中では「キリスト」とされていますが、より普遍化して「神」、あるいは(僕の好きなハリー・ポッター作品からの引用ですが)「非存在に、つまり全てに」と言った方がしっくりくるかなと思います。

この手の作品に総じて言えることですが、話の芯とストーリーを理解してからもう一度読むとより理解できそうな気がします。ただ難解な作品ほど再読へのハードルが高く感じて実際読むには至っていないことが多いので反省。あと一度読んだ作品を読むなら他に読みたい新しい本がたくさんある、というのもあります。

 

 

そんな感じで、3月は試験勉強の億劫さの反動からか割と読めました。あと小説ばかり読むのに飽きて新書を取り入れたのもモチベ維持に役立った気がします。相変わらず読みたい本を手元に置く幸福にばかり気を取られ、積んである本が溜まってばかりなのでどんどん消化していきたいです。バイバイ僕の2018年度。